おはようございます!

今朝も元気に静かな朝を迎えています。自然に目覚めます。有り難い事です。

昨日は日曜日で時間取れ読書をして過ごしました。書棚、机上、枕元に種々の本を置いています。繰り返し折ある度に読む本、時々読む本、調べ物に読む本、趣味の本等々本も夫々目的によっていろいろなジャンルの本あります。その時々で取り上げる本違います。考えを整理したり,自分を見つめ直す時古典や安岡正篤師の本を読みます。同じ言葉でもその時々で違って来てこんなことを言われていたのかと感じる事もあります。

繰り返し読む本はやはり古典が多いです。論語,老子、菜根譚等は折ある度にひもどき自分を見つめ直します。出会った言葉を基に考え深めていくと見えなかった事が見える事多々あります。本は使い方によっては時代を越え,国境を越えていろいろな方と話すこと出来ます。世界も広がりこんな考え方、世界があるのかと驚きです。

昨日読んだ安岡先生の「活眼 活学」の中の「知識・見識・胆識」の三識の話が心に残りました。知識というものは学校へ入って講義を聞いているだけでも,あるいは参考書を読むだけでも得ることで来ます。しかしこれは人間の信念とか行動力にはなりません。知識というものにもっと根本的なもの,もっと権威のあるものが加わらないと知識は役に立ちません。こうでなければならぬという判断は人格、体験そこから得た悟り等が内容となって出て来ます。これが見識です。

ところが見識というものは難しいものですが見識だけではまだ駄目で,これを実行するためにはいろいろの反対、妨害等を断固としてはねのけ実行する知識・見識を胆識を三識と言います。決断力・実行力を持った知識・見識が胆識です。平生どういう理想を持っているか,ただ漫然と過ごすのではなく一つの理想あるいは目標を持っているこれを志といいます。それは一時的では駄目で永続性が無ければなりません。これを操と言います。又仕事をするにあたって,きびきびした締めくくりが必要で,これを節といい,操と合わせて節操という熟語が出来ています。単なる知識人あるいは事務屋では駄目で胆識があり,節操のある人物が出て来なければ,この難局は救われません,とありました。

活眼・活学という言葉を知るだけでなく,何が大切かの視点で自分を見つめ直す事が重要です。古典に親しむ事で自分の至らなさがあぶり出されます。古典は無くてはならない栄養素です。

関連する記事