おはようございます!
今朝も元気に静かな朝を迎えています。今日台風上陸との予報ですが今のところまだ穏やかです。次から次に台風来ますが、大牟田はたいした被害なく来ています。どこで何が起こるか分かりませんので油断禁物です。
最近曽野綾子さんの本をよく読んでいます。80歳過ぎておられるけど精力的に著作活動を続けておられます。幅広い視点から歯切れよく自分の考えを述べておられます。昨夜は「人間の分際」を読み返しました。心に残る詩に出会いましたので紹介します。ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の作った詩が書かれていて、人々は「病者の祈り」と呼んでいるそうです
「大事をなそうとして 力を与えて欲しいと神に求めたのに 慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに より良きことができるようにと 病弱を与えられた
幸せにになろうとして 福を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享受しようと あらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるようにと いのちを授かった
求めたものは ひとつとして与えられなかったが 願いは全て聞き届けられた 神のみこころに添わぬものであるにも関わらず
心の中に言い表せない祈りは すべてかなえられた わたしはあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ」
患者という言葉で括られる共通項は、希望の挫折です。多くの普通の老年が寿命を全うして死ぬ場合も含まれます。自分はしたいように生きた、満足だ、と言い切れる人はごく稀でしょう。普通は誰でも思いを残して死ぬものです。諦めという技術を体得した人以外は・・・。読書、悲しみと感謝を知ること、利己的でないこと、全てを楽しむことが、そこに到達することに約立つのだと思います。